白人による世界侵略の幕開け
1492年は、コロンブスがアメリカ大陸を発見した歴史的に偉大な年であったと、世間一般的に言われている。

これは「大航海時代の幕開け」あるいは「フロンティアスピリッツ」などという美名で呼ばれている。
だが、その実態が「白人の世界侵略の幕開け、有色人種の悲劇の出発点」であったというのはほとんど知られていない。

この引き金となった大きな要因は2つ。
ひとつはヨーロッパで14世紀半ばに大流行した黒死病(ペスト)であった。
このペストによって人口の三分の一、約3000万人の命が奪われ、ヨーロッパ人を恐怖のどん底に陥れた。
この疫病に効くと信じられていたのが、胡椒(こしょう)をはじめとする香辛料であった。
肉食中心のヨーロッパ人にとって香辛料は食肉の保存のための防腐剤と脱臭剤として用いられ、冷凍法のない時代には大変な貴重品だった。
その胡椒の産地はモルッカ諸島を中心とする東南アジアであった。
モルッカ諸島は歴史的に「香辛料諸島 (Spice Islands)」として西洋人や中国人の間で有名だったが、その地域で生産される香辛料はイスラム商人が支配的独占的に扱っていた。

その頃ヨーロッパでは、トルコやモンゴルによって東西陸路が破壊されてより、地中海航路を独占的に支配したヴェネチアがイスラム商人と手を組み、ヨーロッパにおける香辛料貿易を独占支配した。
そのため、ヨーロッパ圏内では「胡椒の一粒は金の一粒」といわれるくらい香辛料は非常に高価な取引がされていた。

そこでヨーロッパの商人たちは、東南アジアの産地に達する新航路を発見し、イスラム商人やヴェネチアを通さずに直に取引したいと考えていたのであった。

もうひとつが、マルコ・ポーロの東方見聞録だった。
この中で、マルコ・ポーロはジパング(日本)は富が豊かであり、文明が高いことを書いた。
内容はかなり誇張されたものであったが、ヨーロッパ人は「黄金の国・ジパング」に興味を持った。

この頃、ヨーロッパでは著しく技術の発展が進んでいた。
ルネッサンスにより科学的精神が生まれ、火薬、羅針盤、活版印刷などの技術革新が興り、活版印刷の普及は「東方見聞録」や東方貿易で得た知識を広め、羅針盤の発明は航海を容易にし、火薬は異民族と戦うための強力な武器をもたらした。

1492年、イタリアに生まれたコロンブスはスペイン女王の援助を受け、大西洋を西へ向かった。
東洋に行くのに西に向かったのは、当時は天文学の発達とコペルニクスの地動説などによって地球は丸いと信じられるようになっていて、当時のヨーロッパではユーラシア大陸が地球のすべてと考えていて、西に進んだほうがジパングに早く到達できると考えていたからであった。

出発してから2ヶ月ほどでコロンブスはアメリカ大陸に到達した。
これを白人中心史観では「アメリカ発見」「新大陸発見」などという美名で呼ばれている。

「アメリカ」には何万年も前からモンゴロイドがアジアから移り、ずっと住んでいていたのだから、それを「発見」などと言うのは大間違いである。
それに日本ではすでに南北アメリカ大陸の存在を知っていたことを示す文献が見つかっている。
地球のほんの片隅に位置するヨーロッパに住む白人が初めてアメリカ大陸に到達したというだけの話である。

当時ヨーロッパでは、インド、支那、日本など東アジアの地域をインディアスと呼んでいた。
コロンブスは、到着したところを新大陸ではなく、東アジアの一部だと思ったので、この地域の住民をインディオ(インディアン)、カリブ海の島々を西インド諸島と名づけた。

このコロンブスの旅の目的は他でもない、「収奪」であった。

コロンブスは「ジパングの黄金」に目がくらんだ強盗団グループのリーダーにすぎない。
要は「極東に黄金の国があるらしい。そこに行って金銀財宝を奪い取ろう」というのもである。
スペイン国王との間で、新たな地域を発見し、富と資源をスペインにもたらせば、その十分の一を取得できるという契約を交わしていたのであった。

コロンブスが望んだ金銀財宝はなかったが、彼は珍しい動植物とともに、快く迎え入れてくれた原住民を、容赦なく歯向かう者は殺し、従う者は奴隷にしてヨーロッパに連れ帰った。

これを皮切りに白人による中南米での強奪が開始される。

そしてこれ以降、白人は「鉄砲と十字架」を手に、残虐非道な手段で全地球をその支配下に収めることになる。

ちなみに、ヨーロッパから大西洋を横切って北米大陸へ到達したのはコロンブスが最初ではない。
バイキングが十世紀にすでに同じことを果たしていた。

この「コロンブスのアメリカ大陸発見」によって世界が白人に支配されるという歴史の始まりだった。

それに終止符を打ったのが「日露戦争」だったのである。
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