十七条憲法
第一条
現代語訳
「和」を最貴とし、「和」を乱さないということを根本とせよ。
人はみんなそれぞれの考え方があり、真理を知る者は稀である。
なので、主君や親など上に立つ者の言葉がいくら正しくとも「自分の考えとは違う」と言っては従わず、隣人の意見が正しくとも「それは違う」と言っては争いを始める。
しかしながら上の者も下の者も共に和睦し、個人的なことでも地域的なことでも国家的なことでも、また過去・現在・未来のことでも議論して決めるなら、それが道理となり、筋道となる。
そうするならば何事も成らざることはない。


「和」とは、それぞれの人が持つ特性を活かすこと。
それに対して「同」とは、均一的にすること。
低俗な例えだが、「和」とはサラダのようなもの。
それぞれの味がお互いの味を引き立て、逆に一つでも足りないと成立しない様子。
「同」は、ミックスジュースのようなもの。
それぞれの野菜をミキサーにかけて均一的な味にする様子。
何かが足りなくても誤魔化すことができる。
あるいは再び低俗な例えを用いるが、全員がピッチャーなら試合は成立しない。
全員が4番バッターでも勝てない。
それぞれのポジションの者がそれぞれの役割を果たして初めて試合が成立するのである。
勿論「和」と「同」をうまく使い分ける必要があり、どちらが優れどちらが劣るいうことはないが、「国家」という大局で物事を見ていくならば、「同」よりも「和」が重視されるべきでる。
いろんな技術や様々な考え方があって多様性が生まれることで、国家の維持発展に際してあらゆる角度からの考察が可能となる。
もし「同」が重視されると、国家の向かう方向性は一つに限られてしまう恐れがあるのである。

解説
聖徳太子は十七条憲法作成の最大の目的を「揺るぎなく盤石で、時間的に限定的ではない永久に安泰で亡びることのない国家の建設」にあること疑いない。
この目的を達成するために最も大事なことが「和」である。
「和」を最貴としたとき、聖徳太子の最大の目的が達せられる。
この第一条こそ根本であり、聖徳太子が最も重きを置いたものである。
第二条以降は、この第一条の補足である。
以降は「どのようにすれば本当の『和』を用いることができるのか」あるいは「『和』を用いたときの国家の姿」または「『和』に背いたときの国家の姿」や「具体的な『和』」を示している。
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