奴隷貿易
奴隷とは、人間としての権利・自由を認められず、家畜や物と同じように所有され譲渡・売買され、他人の支配の下に労働を強制される人々のことである。

日本には、古代から奴隷と言う言葉も奴隷制度などの風習もなかった。
日本では、同じ人間を牛馬と同じ感覚で家畜のようにこき使い、商品として売買するなどという非人間的なことはとても考えられなかったのである。

ヨーロッパの白人たちが有色人種を奴隷にして罪の意識を感じなかったのは、旧約聖書に都合のよい解釈があったからである。

造物主の神は、その代理人としてまず人間を作り、その下に被造物の動物、その下に万物を作られた。
人間は神の代理人であるから、動物を家畜として支配し殺し、食べてもよい。
奴隷は家畜と同格だから人間のためすべてを捧げるのは当然であるとする。

キリストの神の教理による奴隷制度の正当化により、南北アメリカやアフリカ大陸で、白人の人間家畜としての奴隷の大量貿易、大量酷使、大量殺戮が行なわれたのである。
キリスト教を信仰している白人至上主義の彼らにとって、奴隷の貿易・酷使・殺戮はごく当然のことであって、そこに何の罪悪感もなかった。

最初にアメリカ大陸に到着したスペイン人は、先住民から金銀宝物を略奪し、反抗する住民を何のためらいもなく殺戮しまくった。

そのため鉱山の採掘を行なう労働者や、砂糖、コーヒー、タバコといった白人に都合のよい植物耕作のための人手が足りなくなった。
そこで白人が思いついたのが、アフリカから黒人奴隷をアメリカ大陸に連れてくることだった。

16世紀から18世紀にわたる奴隷貿易は、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸の三大陸にまたがる三角貿易によって欧州に莫大な利益をもたらした。

これに参加した国はポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスである。
最も巨利を博したのはイギリスとフランスである。

奴隷商人たちは、ヨーロッパから安物のビー球、銃器、木綿の工業製品を持ってアフリカ・ギニア海岸に行き、黒人奴隷と交換し、奴隷をブラジルや西インド諸島に売り飛ばした。

それで得た金で砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなどを買って船に積みこんでヨーロッパに帰った。

推計では16世紀は90万人、17世紀は300万人、18世紀は700万人、19世紀は400万人が奴隷として売買されたと言われている。

概算で約1500万人だが、1人の黒人を新大陸に連れて行くまでに5人の黒人が船の劣悪な環境により死亡したという推計があるから、アフリカから働き盛りの黒人が数千万人から1億人近くが連れ出されたことになる。

黒人奴隷を一番多く移入した国はカリブ諸島で約40%、次に砂糖のプランテーション労働などのためにブラジルへ38パーセント、残りはアメリカ南部のプランテーションである。

その後、ヨーロッパ列強によってアフリカは分割され植民地支配される。

現在のアフリカの貧困、民族紛争も、すべて白人の勝手な収奪、不合理な民族分割の結果である。

なお、16、17世紀に新大陸から大量の金銀がヨーロッパに略奪された。

その過酷な鉱山労働に、インディオと黒人奴隷が酷使された。

ヨーロッパにもたらされた金銀は、やがて産業革命からヨーロッパ資本主義の原資となった。

また、この金でヨーロッパ商人はアジアから香辛料、茶、ゴムなどを大量に買い入れて儲けた。

これもヨーロッパに巨万の富をもたらした。
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