なぜ人間が人間を奴隷とする思想が生まれたのか
奴隷とは、人間としての権利・自由を認められず、他人の支配の下に、諸々の労務に服し、かつ売買・譲渡の目的とされる人のことである。

日本には、古代から奴隷という言葉も奴隷制度などの風習も全くなかった。
世界唯一の平和な国であった。

日本では、同じ人間を牛馬と同じ感覚で家畜のようにこき使い、商品として売買するなどという非人間的なことは、とても考えられなかったのである。
日本にも古代、奴稗(ぬひ)という言葉があった。
これは律令制の賎民の一種で、最下位の召使いの男女のことだが、彼らとて、どこまでも人間であって、家畜ではなかった。

西欧の白人たちが、人間を奴隷に落として、なぜ罪の意識を感じなかったのだろうか。
それは旧約聖書に都合のよい解釈があったからだ。

造物主の神は、その代理人としてまず人間を作り、その下に被造物の動物、その下に万物を創られた。
人間は神の代理人であるから、動物を家畜として支配し殺し、食してもよい。
奴隷は家畜と同格だから、人間のためすべてを捧げるのは当然といった具合である。
狩猟、牧畜、遊牧の民といった、動物を殺し食することを生業とする民族に都合よく考えられたのが、キリスト教である。

これに対して、日本のようなモンスーン地帯の農耕民族の民は、植物を食の対象として暮らし、仏教の殺生禁断を旨とし、生き物を殺すことにも、あわれみと罪を感じて暮らしてきた。
ましてや、人間仲間を家畜としてこき使う思想は育たなかった。

キリストの神の教理による奴隷制度の正当化の下、南北アメリカ大陸やアフリカ大陸で、白人の人間家畜としての奴隷の大量貿易、大量酷使、大量殺教の悲劇の時代が始まるのである。
残虐非道の奴隷狩り、奴隷貿易の実態
最初にアメリカ大陸に到着したスペイン人は、簡単にアステカ帝国やインカ帝国を亡ぼし、金銀宝物を略奪し、反抗する先住民を見境なく殺していった。
その数は少なくとも一億人(白人がもたらした流行病死も加えて)にも上るといわれる。

これでは金銀の鉱山が発見されても、採掘の労働者が足りない。
砂糖や、コーヒー、タバコなど白人に都合のよい植物農耕のための人手も足りない。
そこで彼らが考えたのは、アフリカから労働力として黒人奴隷を連れてくることであった。
彼らは原住民を殺し過ぎた結果、労働力不足に気がつき、鉱山労働力や農場の労働力を、アフリカから収奪することになる。

白人たちは人を多数殺しておいて、その穴埋めにまた悪事を働く。
悪事といっても当時の彼らに罪悪感は全くなかったが…。

ここに人類史に刻まれる二つの悪行を、彼らは同時に進めることになった。

ギニア湾は、ポルトガルからアフリカ西岸に沿って南下して東に回りこんだところで、ここはアフリカ内陸部から奴隷を狩り集め、奴隷船で需要地の西インド諸島や南米に送りこむ積出地として好位置にある。

そのギニア湾岸には、今でも地名として、奴隷海岸(スレーブ・コースト「ナイジェリア、ラゴス付近」)の名が地図に残されている。
さらにこの海岸には白人泥棒たちが金を盗み出して盛んに運び出したという黄金海岸(ガーナ)や、象牙を盗み出した象牙海岸(コートジボアール)、穀物海岸(リベリア)などの地名がつけられていて、白人300年の犯罪史がはっきりと刻印されている。

奴隷狩りには、三つの方法がある。
第一は拉致、誘拐である。
動物を捕えるように待ち伏せして、通りがかりの先住民を攫(さら)ってゆく。

第二に白人奴隷商人とアフリカ人首長の契約。
首長が他部族に戦争を仕掛け、捕虜を大勢捕えて商人に渡し、代わりに安物の鉄砲やタバコや酒、ガラス玉と交換する。

第三は首長が白人と組んで同胞を売り渡す、支那の買弁的行為である。

集められた悲運の奴隷たちは海岸の奴隷貯蔵庫に格納され、奴隷船が来るのを何日でも待たされる。

奴隷貯蔵庫の地獄絵のような悲惨の実態は、文化人類学者川田順造氏の『曠野から』中公文庫の実態調査報告で知ることができる。
奴隷船には複数の奴隷商人の商品(奴隷)が積み込まれるため、所有者の見分けがつくように、牛馬のように腕や腹に焼印を押され、二人ずつ鎖でつながれて暗い船倉に放り込まれる。
船倉は天井が低く、立つことも横になることもできない。
奴隷たちはそこに詰めこまれ、汗まみれ、くそまみれの生き地獄が待っている。
だから航海中に半分以上は死亡した。
死体は無造作に大西洋に捨てられ、魚の餌食にされたのである。
清水馨八郎「侵略の世界史 この五百年、白人は世界で何をしてきたか」より。

ヨーロッパ人がアメリカ大陸で殺害した先住民は一億人を下らないと言われる。
世界の人口がまだ五億人に満たない時代である。
現在で言えば十数億人にあたる。

欧州人は最初、物品を強奪するために殺戮を犯したが、経済規模の拡大に伴って今度は労働力の搾取が必要になった。
しかしアメリカ大陸の先住民はもう僅かしか残っていない。
そこで目を付けたのがアフリカである。
以来アフリカからアメリカ大陸に強制連行されたアフリカ人は一億人とも言われているが、その大半は輸送される途中に死亡し、大西洋に捨てられた。
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