歴史認識 | ||
いま歴史を改めて見直してみる。 そのため、歴史に関する資料をホームページのサイトなどを検索しつつあらゆる角度から読み返している。 ところがどうだろうか? 歴史に関するサイトを開けば、そのほぼすべてが「日本は侵略国家だった」「日本は諸外国に対して謝罪するのが当然だ」「謝罪あってこそ正常な国交が保たれるのだ」、もっと言う人は「日本人であることが恥ずかしい」などと戯けた意見もある。 歴史文献を継ぎ接ぎしてもっともらしい理論を構築して、我々の先人が流した数え切れないほどの血を踏みにじるような論ばかりが目に付く。 そういった論文を一応参考までに目を通してはいるが、読めば読むほどはらわたが煮えくり返ってくる気持ちになる。 その論法がまかり通ってしまうなら、日本と家族を守るためにその若い命を散らした神風特攻隊たちは犬死に・無駄死にであり、なおかつ悪人となってしまうではないか! 【最初の特別攻撃隊となる第1神風特別攻撃隊「敷島隊」隊長として戦死し軍神と畏敬された関行男大尉】 【1945年5月26日、出撃前日の陸軍第72振武隊隊員達(中央が荒木幸雄伍長)。翌日九九式襲撃機10機で沖縄南部海面の米機動部隊に突入。10名の隊員のうち隊長の佐藤睦夫中尉(陸士56期)が25歳で最年長、10代が3人おり、最年少の17歳は2人いた。】 もし日本が戦わなかったら、今頃この国はアメリカ合衆国の51番目の州となってアメリカの星条旗の星が1つ増えていたに違いない。 そして日本の歴史は遠い過去のこととして忘れ去られていく運命にあったであろう。 我々は「ニホンゴ」という言語を使う土着の民族となっていただろう。 ここで前もって言っておく。 私は戦争肯定派ではない。 ただ、私は日本人であることに誇りを持っている。 その誇りを誰人も否定できない確固としたものとするためにいまここに記すものである。 仮に百歩譲って、いや、億千万歩譲って、過去の日本が悪いことをしたとしよう。 それで、謝罪して解決したのか? 「村山談話」をはじめとして今まで何度謝罪を繰り返しているのか。いくら貢いでいるのか。 日本人として悔しいと思わないのか? えっ、「別に悔しくないしぃ・・・」「別に自分は関係ないしぃ・・・」「それは昔の話だろ!?大事なのは未来のことさ」って、それでも日本人か!? 私は「日本人として誇りを持っている」し、「先の戦争は決して侵略戦争なんかではない」と断言する。 しかしそう言えば、したり顔して、あるいは目を怒らせて、あるいは軽蔑するような態度で「あなたは右翼ですか?」「戦争を肯定しているんですか?」などと言い返してくる。 ちなみに右翼もシーシェパードもやっていることは同じである。 右翼の連中に「愛国心」を持っている者など一人も居やしない。 その理由はいつか話そう。 シーシェパードの連中もバーベキューしながら「動物愛護」について語り合っているのである。 今我々がいるこの時代は過去からの歴史の延長線上にあり、未来は過去・現在から伸びる線上にある。 過去を否定したら現在は否定の上に成り立ち、その延長線上にある未来は否定されたものとなる。 日本の将来に希望の光が見えなければ、「現在」の意味を見出すことができなくなる。 そして将来に希望が持てなくなれば、人々は当然のごとく「享楽的」「刹那的」「悲観的」になる。 その結果、犯罪は激増し、自殺者は一向に減る傾向を見せず、国家財政は破綻寸前となり、追い討ちをかけるように東日本大震災の発生と放射能汚染。 さらに日本の領土は隣国に分捕られようとされ、そのような中にあってもなお政治家どもは「政治のための選挙」ではなく「選挙のための政治」に血眼になるという異常事態が起きてきた。 まさに「火宅に遊ぶ子」となってしまったのである。 断言できることは、このままいけば必ず「日本は亡ぶ」ということである。 「このままいけば必ず日本は亡ぶ」と言うと、○○学者さんや○○評論家さんたちが口を揃えて「日本が亡ぶなんてありえない」などと言ってくるに違いない。 では聞くが、なぜ「日本が亡ぶなんてありえない」と言えるのか?その道理を示せ! もし完璧な道理を示すことができる者がいれば、私はぜひその方の弟子とならせていただき、一生お仕えするつもりである。 なぜなら、そんな完璧な道理を示すことができる方であるならば、一生お仕えする価値があるからである。 また、「日本が亡んでもアメリカに移住すればいいではないか」という人もいよう。 考えが甘いのだ、馬鹿者が!そんな奴は招かざる客以外の何者でもない。 ブランド品だ、高級車だ、高級グルメだ、海外旅行だと、おのれの贅沢のために子どもの給食代すらも払わず、さらに隣りに住んでいる暴力団に脅迫されて謝罪と金銭を強要されて貢ぎ続け、やがて大借金をこしらえて破産し、しまいには自分たちで自分たちの家に火を放ったにもかかわらず「あぁ燃えちゃった」と言いながら火を消そうともしないクレイジーな家族が、突然、ちょっと仲良くしてくれたあなたの家に来て「家が燃えちゃったんで今日から私たち家族を養ってください。そして私の借金も肩代わりしてください。隣りの暴力団からも守ってください」と言われたら、あなたは「はい、どうぞ」といって歓迎するのか? そう言うとまたキリスト教的思想の持ち主であるお人よしは「隣人に対して愛が無いのね」「まぁ、なんて冷たい人なの」なんて言ってくる。 だったらどうぞ、ぜひその家族を養ってあげてください。ご遠慮なく! ヘビースモーカーだった私の知人が、ちょっとした病気を患って病院に行った。 そこで医師は「タバコを止めなければもっと悪化して死ぬぞ」と言われた。 知人は「大好きなタバコを止めるくらいなら死んだ方がましだ」と言い返したら、医師は「ここは病気を治すところだ!死んでもいいというならもう来るな」と言われたそうだ。(その後その知人は完全にタバコを止めた) 例えば、風邪とインフルエンザは症状は良く似ているが、病気としては全く別物である。 風邪は、「ライノウィルス」や「コロナウィルス」等の感染によるものであり、インフルエンザは「インフルエンザウィルス」の感染によるものである。 インフルエンザに感染している患者に対して、風邪と症状が良く似ているからといって風邪薬を処方しても効き目は無い(解熱剤なら効果はあるだろうが)。 薬を処方する前に大まかに5つのことをしっかりと把握すべきである。 @.原因は何か A.どの薬が効果的か B.その薬はその患者に合っているか(副作用は無いか、拒絶反応は無いか) C.その薬をいつ飲めばいいのか(食前なのか食後なのか) D.今までどんな薬を飲んでいたか 毒を飲みながら薬を飲んでも効果は無い。 また、風邪の患者がちゃんとした薬をちゃんと飲んでも、パンツ一丁で過ごしていれば風邪は治らない。 また、子どもが宿題に悩んでいて、その宿題を親が代わりにやってあげたとしたら、その親は「やさしい親」であろうか? 否。そんなことをしていたらその子を潰すだけだ。 キリスト教的思想家の言う「愛」とは所詮、「子どもの宿題を代わりにやってあげるやさしい親」を指す言葉である。 まやかしに過ぎない。 先ほどのクレイジー家族のクレイジーさを治すのも要は同じである。 キリスト教的思想家なら「借金で悩んでいるなら肩代わりしてあげなさい」「食べ物が無いなら与えてあげなさい」「暴力団に謝罪を要求されているなら代わりに土下座してあげなさい」というだろう。 これで解決するわけが無い。 むしろその家族はさらに頭に乗るに違いない。 つまりキリスト教的思想家に先ほどのクレイジー家族を救うことはできない。 かなり話が脱線してしまったが・・・。 「亡んだら亡んだでそれまでだ」「死んだら死んだで仕方が無い」「そのときはそのときで何とかなるさ」「誰かがきっと手を差し伸べてくれるさ」と。 格好つけて言っているのか、無常を悟って言っているのか、よほどの自信があるのか、他力本願か、それはわからない。 ただ1つ言えるのは、これらの間違った思想が国を亡ぼすのである。 この間違った思想を打ち破って正しい思想に基づいたとき、自分の将来、またこの国の将来に明るい光を見出すことができるのである。 この「間違った思想」を打ち破る一つの手段が、「正しい歴史認識」を持つことである。 無論、「正しい歴史認識」を持つだけですべてが解決できるなどとは思っていない。 いずれは「この日本を誇りに思い、人生に確信を持つことができるようになる根本的手段」を書く予定にしている。ただ、この「正しい歴史認識」をしっかりと持つことが、日本人として日本を誇りとし、人生に確信を持つことができるようになるための助けとなるのは間違いない。 疑問・質問・反論・意見・あるいは賛同があればこちらまで。 |
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