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イワシの頭
「イワシの頭も信心から」というが、どのような理由があってイワシの頭にご利益があるというのか。
イワシの頭にご利益がある道理を示してほしいものである。

新宮の神社仏閣で購入するわけのわからないお守りも、イワシの頭も何の差もない。
無い物を有る、有る物を無いと「思い込んで」しまうとどうなるのか?
思考回路が狂ってしまうのだ。
善は悪、悪は善ということになる。
要するに、良かれと思って取った行動が全て裏目ってしまうのである。
それは全く本人に自覚のないまま、気が付いたら「なんでこんなになってしまったのか」と嘆くことになる。

上に答えがあるのに下ばかり向いていたらいつまでたっても答えは見つからない。
この「思い込み」が新宮の発展を妨げている要因に他ならないのである。
発想の大転換が必要のときが来ている。
本当にお守りにご利益があり、命かけて信じられるものであるならば、ケータイのストラップとしてぶら下げるなどといった粗末に扱うことはありえないだろう。
命かけて信じているものを粗末に扱うということは、我が身を粗末に扱っているということと同じである。

要するに世界遺産となっている新宮の神社仏閣など、新宮市民にとっては売名以外の何ものでもなく、どうでもいい存在に過ぎないのである。
本当にご利益があるのならば、「世界遺産」などという売名行為をする必要がない。
新宮の神社仏閣は客寄せパンダとまったく何も変わらない。
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