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宇宙の姿

宇宙とはレコード盤みたいなもので、あらゆる事象は個々に見ると、それが何の意味を持っているのかわからないが、全体を見渡すと、一つ一つが意味を持っていて、それらが相互に作用しあい、一つの見事な、というよりも、完全無欠、「究極の完璧」という音楽を奏でながら終点に向かっていく。

そしてまたその終点は同時に始点でもあり、始め無き始めから終わり無き終わりへと永遠に繰り返されていく。

宇宙論では、
「宇宙はいつから始まったのか」
「宇宙の広さはどれくらいか」
「宇宙はこれからどうなるのか」
と議論される。

結論から言うと・・・
「宇宙はいつから始まったのか」というと、始め無き始めから始まった。

「宇宙の広さはどれくらいか」というと、矛盾しているようだが、「有限で無限、無限で有限」。
例えば地球の大きさは有限である。
しかしその地表に住む我々にとって、地球に果ては無い。
仮に、あるスタート地点からまっすぐ進めば、たどり着く先はスタート地点である。
スタート地点はすなわちゴール地点であり、ゴール地点はすなわちスタート地点である。
地球の果てを探そうとすれば、地球の広さは無限になる。
究極に遠くまで見通せる望遠鏡があるとしたら、その望遠鏡をのぞいて見えるのは、望遠鏡をのぞいている自分の背中である。

また宇宙論では「宇宙の果てはどうなっているのか」と議論されているが、今この場所が宇宙の果てであり、また、宇宙の始まりの地点であるといえるかもしれない。

「宇宙はこれからどうなるのか」というと、究極の完璧な姿のまま終わりを迎える。
そしてまた究極の完璧な宇宙が始まる。

浅はかな人は「終わってしまうなら完璧ではない」と言うかもしれないが、そうではない。
終わってしまうことも完璧な姿なのである。
逆に言えば、完璧であるからこそ終わるのである。

アインシュタインは「相対性理論」の中で、物質と時間と空間は同じであるという旨を発見した。それらは単体では存在し得ないのである。
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