勝てない理由はそれだけではない。
内容的に前の@を単純化したような話ではあるが、パチンコは「客にとってのみギャンブルであり、店にとっては商売」という立場の差である。
パチンコ屋もボランティアではない。
店は商売でやっている以上、運などに左右されて“勝ったり負けたり”してなどいられない。
つまり客の数に正比例して「店は毎日必ず勝たなければ(儲けなければ)ならない」のである。
一日に客に渡る景品価値、光熱費、諸々の原価、資材費、場所代、人件費などの諸経費等の支出が収入を上回ることなどあってはならない。
それでは何のために商売をしているか意味がわからなくなる。
商売でやっている人間が『運』などを頼ってそんな危険なことをしていては経営者として失格である。
店側は経費を払う時点ですでにリスクを負っている。
それ以上のリスクはできる限り排除しなければならない。
もちろん商売でやっている者が「運次第で」1日の労働そのものがタダ働きになりえるような「当たり」などを入れるリスクを負うわけがない。
全ての商売は、客が来れば必ず店側が儲かるようになっている。
当然の経営理論である。
パチンコ屋が損をするパターンは、「客が来ない場合のみ」である。
逆に、客の目線でみれば“短期的には”勝つことも負けることもある。
これはそれこそ「(客にとっては)ただのギャンブルだから」に他ならない。
もう一度繰り返そう。
パチンコは「客にとってのみギャンブルであり、店にとっては商売」だ。
それゆえ、ギャンブルであれば確率論で明らかなようにプレイヤーは短期的に勝つことがあっても、長期的には「やればやるほど」必ず負ける。
逆に胴元(パチンコ店)は、やればやるほど勝つ仕組みになっているのである。
この、「商売とギャンブルの違い」を理解するためにはパチンコ屋に内在するもうひとつの“商売”もしっかり認識しなくてはならない。
それは『パチプロ』と呼ばれる人たちである。
今度は株の取引にたとえてみよう。
この場合、“パチンコ店”は証券会社にあたる。
相場がどうなろうが、客の取引結果がどうであろうが、客が来て参加しさえすれば手数料(パチンコの胴元控除)は確実に手に入る立場だ。
“パチプロ”は、ここでは株式売買のプロに相当する。
客側なのでギャンブル的な要素はあるものの、技術と経験から勝率が高く、長期的なトータルの収支では必ず勝つ人たちである。
さて、株式の取引というステージを想定した場合、あと1つ重要な配役がある。
それは全体の8〜9割にあたる「負ける人」である。
プロが実際に存在しているということを理解すれば「負ける人がいないと成立しない」のは明白である。
つまりパチンコでも株でもプロが存在できるのは「ほとんどの人が負ける(損をする)から」である。
パチンコに負けたくないなら、やらないか、パチプロになるしかない。
しかも、そのパチプロですら最近は「もう勝てない時代になった」と言っているのである。
現実的にも、数字の上でも、最悪設定の台でも短期的には勝つことがあるのと同じで、最高設定の台でも短期的には負けることがある。
1日ゲームした人がプラスの収支になった時に「高設定台だった」と判断するのは早計であり、実際には確率が「収束」したのではなく、「偏った」だけの表層的な結果である。
しかも毎日高設定の台を選び出すことは店側の仕掛け人でもない限り不可能であり、偶然高設定の台を選んでも、それが高設定だとはプレイヤーにはわからない。
つまり、ギャンブル(=運次第で勝ったり負けたりする)である。
必ず勝てる裏づけのない者、ギャンブルをする者をパチプロとは言わない。
ゆえにパチプロは存在するのが難しくなっているのである。 |